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令和世代の勉強法

  • 執筆者の写真: Avalon
    Avalon
  • 11 分前
  • 読了時間: 7分


――「自由」の前提にあるもの



ここ2・3年、生徒たちを見ていて


「以前とは少し勝手が違うな」


と感じることがあります。


もちろん、昔から勉強が苦手な子はいましたし、宿題をしない子も、やる気のない子もいました。


なので、十把一絡げに「今の子どもは昔より駄目になった」と言いたいわけではありません。


ただ、10年近く教育に携わっていると、どうしても気になる変化があります。


それは、「できないことを、できるようになるまで取り組む」という経験が少なくなっているのではないかということです。




――「やりたいこと」その前に「やるべきこと」がある



時代は令和です。


今の時代、「自分らしく生きる」「やりたいことをやる」「無理をしない」という価値観が以前よりずっと尊重されるようになりました。


これは、とても大切なことだと思います。


その反面、忘れてはいけないことがあります。


やりたいことをやるためには、その途上に大量の「やりたくないこと」がある、ということです。


ピアノが弾けるようになりたいなら、ハノンやバイエルのような基礎練習は避けて通れません。


スポーツで勝ちたいなら、走り込みや筋トレを嫌というほどやらされます。


英語を話せるようになりたいなら、まずは基本的な英単語を最低5000語くらいは暗記しないと話になりません。


仕事で面白いプロジェクトに関わりたいなら、毎日クソ上司から死ぬほど怒られる、いわゆる「下積み」の時期があります。


つまり、「やりたいことをやる力」とは、より大きな目的のために、一時的な面倒や不快を引き受ける力でもあります。


ここを一切経験しないまま「嫌ならやめていい」という逃避癖だけを身に着けてしまうと、面白い人生を送るチャンスを自らゴミ箱に捨ててしまうことになります。


もちろん、理不尽な指導に耐えることに価値があるわけではありません。


ただ「理不尽だから拒否する」のと、「できない自分を見るのが嫌だから拒否する」のは全く別の話です。


このあたりの議論が、昨今混同されているように思えてなりません。




――まず「動く」


さらに、ここ最近塾で生徒を見ていて強く感じるのが、学力以前に行動の差が大きくなりつつあるということです。


問題が分からなければ質問する。


間違えたらやり直す。


解説を読む。


もう一度自分で解く。


できなければ、また聞く。



・・・こうした行動を繰り返す生徒は伸びます。


逆に、


「このプリントをやりなさい」


と言われても解かない。


無理にやらせたらやらせたで答え合わせをしない。してもらおうともしない。


「答え合わせは?」と聞くと「明日します」と言う。


明日になったら、そのプリントは持ってこない。


間違いも直さない。


解説も読まない。


分からなくても質問しない。


そんな「勉強」に終始した挙句、テストが終わると、


「勉強した(頑張った)のに、点数が取れませんでした」


となる。


当然、親御さんは納得できません。


「塾でちゃんと勉強したの?」

「塾にも行っているのに、どうして成績が上がらないの?」


と子どもに問いただします。


しかし、子どもは自分に都合の悪いことを、すべて正直に話すとは限りません。


「勉強した」という言葉も、机に向かっていた時間があった、という程度の意味かもしれません(このあたりのことは、以前の記事で書きました)


だからこそ、親や教員は、子どもの自己申告だけをそのまま信じるのではなく、「実際に何をしていたのか」を冷静に見る必要があります。


ところが最近、少し気になるのは、子どもの言うことをそのまま「信用」する保護者の方が増えているように感じることです。


「うちの子は塾にも行って勉強しているはずなのに、なぜ成績が伸びないのだろう。そうだ、塾の指導方法が悪いのではないか」


となってしまう。


しかし、ここで考えなければならないのは「勉強方法が分からない」ということだけではありません。


本当に大切なのは、分からないときにどう行動するかです。


分からないから何もしない。


分からないまま、とりあえず机に座っておく。


そして、テストが終わってから「できませんでした」と報告する。


そうではなく、


「このままだとできそうにないのですが、どうしたらいいですか」


と、事前に相談する。


この二つの違いは、単なる勉強方法の違いではありません。


「分からないからこそ、自分から助けを求め、次の行動を起こす」という習慣が身についているかどうかです。


そして、この習慣は勉強だけに必要なものではありません。


将来、仕事をするようになったときにも、


「やってみたけれど、できませんでした」


と事後報告する人と、


「このままでは期限までに終わりそうにありません。どう進めればよいでしょうか」


と早い段階で相談できる人とでは、大きな違いが生まれます。


だからこそ、子どもに身につけてほしいのは、単に「勉強する習慣」だけではありません。


分からないとき、できないときに、そこで立ち止まるのではなく、自分から考え、相談し、行動する習慣。


私は、それこそが勉強を通して身につけてほしい、もっとも大切な力の一つだと思っています。





――「分かった」と「できるようになった」は違う


最近の勉強を見ていて、もう一つ気になることがあります。


「説明を聞いたら分かりました」


「解説を読んだら分かりました」


という状態を、「できるようになった」と考えてしまうことです。


しかし、それはまだ途中です。


本当にできるようにするなら、その場でもう一度自力で解く。


翌日、もう一度解く。


数日後にも解く。


暗記なら、覚えているか確認する。


間違えたら、またやり直す。


「理解した」ことと「自力でできる」ことは違います。


勉強は、やった時間を積み上げる作業ではありません。


「試験本番で一人でできる状態」を目指して、そこまで仕上げていく作業です。


だから、勉強が苦手な子ほど、実は「勉強量」以前に「勉強の完成形」を知らないことがあります。





――「当たり前」の基準は、少しずつ作られる


人は、自分が「当たり前」だと思っているところまでしか、なかなか努力できません。


毎日勉強するのが当たり前。


分からない問題に挑戦するのが当たり前。


間違えたらやり直すのが当たり前。


約束を守るのが当たり前。


そういう人にとって、それは特別な努力ではありません。


一方で、


「疲れたから今日はやらない」


「面倒だから明日やる」


「一回やったからもういい」


ということが当たり前になれば、やはりその基準のところで成長が止まってしまいます。


ただし、この「当たり前」は生まれつき決まっているものではありません。


少しずつ変えていくことができます。


昨日10分だったものを15分にする。


一問だけだった質問を二問にする。


一度しかやらなかった復習を翌日もやってみる。


そうした小さな積み重ねによって、自分の「当たり前」は変わっていきます。




――さいごに


誰しもわが子が苦しんでいる姿をみるものは辛いものです。


「無理しなくていいよ」


「できるところまででいいよ」


「嫌ならやらなくてもいいよ」


という言葉が必要な場面はあります。


ですが、子どもを守ることと、何でも取り除いてあげることは違う。


「必要なら、やりたくないことも自分の意思で引き受ける」


という経験をしておく必要があると思います。


子どもを守ることと、子どもが困らないように何でも取り除いてあげることは同じではありません。


むしろ、できない、悔しい、恥ずかしい、面倒くさい。


そういう経験をしたときに、


「じゃあ、次はどうする?」


と考えさせることのほうが、将来の自立には重要なのではないでしょうか。


塾で成績を上げることは、もちろん大切です。


志望校に合格することも大切です。


でも、その先にあるものも見ていたいと思っています。


最近、生徒たちを見ながら、そんなことを考えています。












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